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2006年7月30日 (日)

夏の太陽に合う調べ レジェンド/ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ

Photo_4 いや~あつはなついね~。君、それを言うなら夏は暑いね~やがな・・・・。こんな昭和のやりとりはさて置いて、今日は快晴、たまった洗濯物や布団を干したり、子供とプールに行ったり、やっと、夏を感じられる様になってきた。やはり、その季節に最も合う音楽があり、夏の太陽にはレゲエがよく似合う。その歌詞にはメッセージ性が強く、第3世界への社会的貢献が称えられ、国連から表彰されている。あるインタビューでボブはこう答えている“私の音楽かい?私の音楽は永遠に生き続けるよ。馬鹿げていると思われるかもしれないが、私には確信があるからこう言わせてもらう。私の音楽は永遠に生き続ける。”1981年5月11日に癌で亡くなった、彼の予言にも似たその言葉は、没後25年経った今でも、彼の音楽が色褪せていない事を大きく物語っている。

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2006年7月21日 (金)

弧独/スザンヌ・ヴェガ 痛みを伴うミュージック

Photo_3 My name is luka

I live on the second floor

I live upstairs from you

Yes I think you've seen me before

If  you hear something late at night

Some kind of trouble ,some kind of fight

Just do'nt ask me what it was ×3

ボクの名前はルカ

2階に住んでいるんだ

君のうちの真上に

そう ぼくのこと 見たことあるよね?

真夜中に、何か聞こえても

たとえば怒鳴り声とか、ケンカとか・・・

でも何があったのって聞かないで

この“ルカ”が発表されて20年近くになる。このアルバムは名盤だ。何しろこの曲が入っているのだから・・・。当時、日本にはあまり見受けられなかったと記憶している“児童虐待”をテーマした珠玉の名曲だ。曲の良さとテーマのへヴィさ、当時ヒットしたのでかなり憶えている人も多いはず。今や日本でも、毎年この手のニュースは後を絶たない・・・どころか年々増えいている上に、猟奇的、救いがないケースが増えているような気がする。この手の報道があるたびに、やりきれない、絶望的な気持ちになる。秋田の事件に関しても、誰もが感じていたように最悪の結末になってしまった。田舎の警察の杜撰な捜査がなければ、もうひとつの事件は防げたはず。子供を持つ親としては胸が張り裂けそうだ。この歌の主人公は、虐待を受けながらも何とか大丈夫と強がる、どうも彩香ちゃんにだぶってしまう。ポピュラーミュージックは、社会を変えることは難しいが、心を動かすことが出来る。最近の歌で“ルカ”のように考えさせられたり、痛みを伴ってヒリヒリする曲というものが非常に減ってるように感じる。

また“ルカ”を聞く、このような悲惨な事件が社会から無くなる事を祈って・・・

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2006年7月14日 (金)

ザ・ティアーズ・オブ・ア・クラウン/THE RCサクセション

335_1 この夏に、聞きまくるCDは決まった。昨日、忌野清志郎から重大な発表があった。喉頭がんの治療専念による長期休養・・・。“何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむ気持ちで治療に専念する。”何とも力強く、ユーモアに溢れた清志郎らしいコメントだ。夏のライブアルバムの決定版といえば、文句なしに挙げられる名盤中の名盤。ソウルの名盤にライブありinJapan。蝉の鳴き声に誘われ夏の日比谷野音にトリップする。野音は、一度再結成レッズを観に行った事があるが、都内のビルに囲まれたオアシス、お気に入りのライブスポット。1曲目はソウルの名チューン“ミッドナイトアワー”2曲目の“スウィートソウルミュージック”への連携も見事だ。この頃のRCのバンドグルーヴは軽やかでしなやか、仲井戸のギターもバッキングにソロにイカレまくっている。清志郎のシャウトもますますソウルフル。“ヒッピーに捧ぐ”での感情を振り絞るその叫びは、鳥肌ものである。夏を乗り切る為によく聞いていたが、今年は違う、清志郎の全快を信じて聞きまくろう!

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2006年7月 9日 (日)

ザ・ウェディング・アルバム(デュラン・デュラン)

271 今日は大学時代からの友人の結婚式。呼ばれるのは非常に有難い。結婚式といえば・・・実はそのものずばりのタイトルが少ないような・・・。このアルバムは93年に発表された、かれらの7thアルバム。この中から“オーディナリー・ワールド”が大ヒットし、今日に至るまでの活動の大きな礎となった。ストーンズでいえば「サム・ガールズ」のような作品である。やはり、このアルバムは“オーディナリー・ワールド”が耳に残る。メロディもさることながら、歌詞も非常に優れている。さびのフレーズも感動的だ

But I wont cry for Yesterday

Theres an ordinary world somehow I have  to found

And as I try to make my way to the ordinary world

I will  lean to survive

どうしても見つけださなきゃいけない、ありきたりの世界があって

そのありきたりの世界にいくために 

僕は生き延びていく

結婚生活もやはり素朴なありきたりの世界があって、我々もそこにたどり着こうともがいているのでは?。

改めて、おめでとう・・・。

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2006年7月 4日 (火)

スルー・ザ・パスト・ダークリー/ザ・ローリング・ストーンズ

560_1 日曜日にディズニー/ピクサーの「カーズ」を家族で観た。前評判通り、大人のファンタジー・・・。勝利する事だけが人生における勝者ではないと教えてくれる、とてもいい映画である。子供の頃に親から大金をもらって、株を運用してるガキや公然とガキにギャンブルを教えて“経済活動”などとしたり顔の大人には絶対に思いつかない発想だ。ところで、7月3日は特別な日である。ローリング・ストーンズを創った男、グループ名の名づけ親、ブライアン・ジョーンズの命日である。ミックとキースにグループのイニシアティブを奪われ、最終的にはストーンズから追い出され、その1ヶ月後に自宅のプールで死んでいた。ジミヘンやジャニス、ドアーズのジム・モリソンよりもいち早く夭折したロック・スター。 今年の夏には、“ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男”が公開される。世間一般でいわれるように、確かに作曲能力のなさがコンプレックスとなり泥沼に堕ちていったかもしれないが、卓越した音楽的才能(どんな楽器でも30分もあれば、その楽器をマスター出来たといわれている。)でミックとキースの作る楽曲に彩りを与えてくれていた。

ミックやキースにギターの弾き方を教え

ミックにはハープを、チャックベリー一辺倒のキースにはブルースを教えた男

このアルバムはブライアン・ジョーンズの思い出に捧げられている。

自分はこのアルバムをイギリス盤でもっている、1曲目は“ジャンピン・ジャック・フラッシュ”だ。この曲はストーンズ史の最重要チューンのひとつである。前のアルバムでビートルズの真似をして失敗をしていて、ストーンズ自体、アイデンティテイの危機を迎えていいたのではなかろうか・・・そして危機的な状況を迎えながらもブルースに立ち返る事で“ベガーズ・バンケット”や“レット・イット・ブリード”のような奇跡的なアルバムが生まれた。ことの他、ブライアンは“ジャンピン・ジャック・フラッシュ”の原点回帰路線を喜んだとされている。悲しいかな、その2枚のアルバムで貢献度はほとんどなくなっていたが・・・。しかし、チャートで暴れるよりも、大事な物がストーンズミュージックにはあり、それは紛れもなくブルースの継承であった。その原形を作ったのは、間違いなくブライアンの貢献があったからだ。ブルースに戻る、そこに戻る事が出来たストーンズの姿に「カーズ」の主人公の姿が重なる。

ブライアンの墓碑銘には「僕をそんなに厳しく裁かないで下さい」と書かれている。

わしの気持ちとしては、彼のフルートが最高のルビー・チユーズデイの一節を捧げたい

still Im gonna miss you

p.s 7月3日は、中田英寿の引退発表という特別な日にもなった・・・。彼のプレイを楽しみにしていたサッカー・ファンもこのフレーズの気持ちなんやろうな・・・。

  

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