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2006年8月26日 (土)

復活ダンス甲子園 ミステリー・シティ/ハノイ・ロックス

671元気が出るテレビでやっていた、ダンス甲子園が今回の24時間テレビで復活するらしい、憶えているだろうか?

チャララ、チャララ、チャララ、チャララチャチャチャ~ン♪ 

        ドン ドン ドドドン ドドドン ドン ドン♫

アンディ・マッコイのいかしたリフとラズルのドラムとシンクロして海パンで踊りまくる山本太郎。今、現在あの中で唯一表立って活動している男が選んだ曲がハノイ・ロックスの“マリブ・ビーチの誘惑”だ。この曲を含むハノイ・ロックスの4thアルバムは全10曲、捨て曲なしの最高のロックン・ロールアルバム。このアルバムはバンド自らのレーベル、「リック」を通じてリリースされた。何より、ギター兼メインソングライターのアンディ・マッコイの曲作りが脂の乗ってる時期である事、元モット・ザ・フープルのオヴァレンド・ワッツとデイル・グリフィンのコンビによるプロデュースが的を得ていた事によりそれまでのどのアルバムよりも洗練されたものとなった。このアルバムにおける完成度と成功がきっかけとなりバンドは「CBS」とのワールドワイド契約を交わしている。フィンランドのいかしたロックンロールバンドが世界へ飛躍する契機となったアルバム。大阪の一人の高校生が世に出るきっかけとなった曲・・・。そして、ハノイがいなければガンズアンドローゼズも生まれなかったという事実・・・とても一回では語りきれない魅力がそこには凝縮されている。今、現在音質がかなり向上した紙ジャケのCDが再発されている。ハノイ未体験の人には是非このアルバムから薦めたい・・・。

P.S 「燃えるロンドンナイト」DVD化希望!後、現在廃盤となっているアンディ・マッコイの「トゥー・マッチ・エイント・イナフ」再発希望!

05年日本公演映像化希望!書いてたらきりがないのでひとまずここでやめときます。

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2006年8月23日 (水)

ゲラッパ セックス・マシーン/ジェームズ・ブラウン

Photo_9 ザ・スタ~オブ ザ ショウ~

ハードワーキング ミスター ダイナマイト!

ジェ~ムズ・ブラウン!

ゲラッパ(ゲノーナ) ゲラッパ(ゲノーナ) ゲラッパ(ゲノーナ)

ソウルの名盤にライブあり。もっとも、これは前半が擬似ライブ、後半はJBが育ったジョージア州オーガスタのベル・オーディトリアムでのライブを含む変則的なアルバム。しかし、そんな違和感のない熱い、熱~い一枚。オープニングのごきげんな表題曲は10分を超え、怒涛のファンキーソウルショーは幕を開ける。オープニングのMC通り、JBはハードワーカーだ、妥協を許さず、完璧なショーをこなす。その華麗なステップは、ミック・ジャガー、忌野清志郎などに絶大な影響を与えた。自由になるためのステップ、生き残るためのステップ・・・JBの自叙伝によると、それまで歌に専念するために突っ立っていたストーンズのミック・ジャガーは“TAMIショー”でJBとの競演をさかいに踊りまくるようになったらしい。服役した一人の黒人少年が自由になるため、生き残るためのステップを踏み、またミックも同世代のビートグループから自由になるため、タフな音楽業界の中で生き残っていくためにステップを踏んだ。JBはストーンズの事を兄弟のように思っているらしい。清志郎いわくJBは誰の事でも“ブラザー”というらしが・・・何はともあれJBのライブは圧倒的パワーとクオリティーが非常に高い。故に数あるライブ盤の当たり外れが少ないのだろう。

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2006年8月15日 (火)

8月15日 南十字星/ザ・バンド

Photo_8 昔、オカンが時々口にしていた、「私は上海生まれやで〜」どういう経緯でそのような言葉が出たのかは思い出せないが、ちょっとした自慢と戦争末期に生まれたことの大変さを伝えたかったのだろう。わしの祖父が通信兵であった事、そしてオカンも含め祖父たちは命からがら日本に戻ってきた事、その帰国については、祖父の同僚が身代わりになっていた話をよく聞かされた。おそらくシベリア抑留の事を言っていたのだろう。自分はその犠牲の上に成立っている事を謙虚な気持ちで受止めなければならない。昨日、かみさん方の墓参りに行った。先祖崇拝という日本古来の民間習俗、子孫は祖先のみたまを厚く祀り祖霊の志は子孫を護り続ける。国に殉じた人々のみたまを祀る社がつくられた時、自然に子孫が祖先に対するような感情を持ち、その神霊に拝し加護を祈った。靖国信仰は日本の文化・伝統・習俗の上に成立している。今日、8月15日は日本人が日本の歴史始まって以来の「総力戦」を戦って敗北を知った日・・・。こんな日だからこそ、国政に関わる人間が参拝しなければならない。事あるごとに事後法で国際法上にもでたらめな“東京裁判”のA級戦犯が祀られてい
るからと発言する中国や韓国、日本の政治家・偏狭な報道しか出来ないマスコミ・・・。今やあの裁判が戦勝国が戦敗国を裁く、国際法違反の復讐劇であった事は明白であるのに。亀田の試合など比較にならない程のやらせ裁判だったのに、その試合程東京裁判批判をしない一部メディア。特に新聞・TVが一番ひどいような気が・・・。当時、唯一の国際法判事パール博士は、その法的観点から全員無罪を主張した。日本は諸判決を受け入れたのであって、裁判を受け入れたのではない。だからこそ、いわゆるA級戦犯と言われた人々も後に厚生省の後押しを受けて合祀されているのだ。ザ・バンドの曲の中で個人的に一番好きな曲「アケイディアの流木」の出だしはこうだ、The war was overAnd the sprit broken戦争が終わり、精神は地に墜ちた、精神を地に墜とした政治家・一部メディアの報道のしかたに自分の言葉で語りたい、分祀せよ/御霊の眠る/靖国に/売国奴らの/卑劣な叫びP.S 今回は帰省の真っ直中の為、初めて携帯から書き込みしてみました。8月15日にどうしても書き込みたかったので・・・果たしてうまく出来ているか?

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2006年8月12日 (土)

僕と帰省とipod

Ipod 田舎に帰省する時に大きな悩みがあった。たいがい鶴見ー関西間を車で帰るのだが、“どのCDを持って行くべきか?”聞ききれるわけもないのに直前になって、あれこれ悩みながら、荷物をかさばらせながら、チョイスしてもCDチェンジャーのカーステではないのでCDを変える事が出来ず、かみさんに頼んで変えてもらったり、まったくドライブ・ミュージックとして不向きなアルバムだったりすると始末が悪く、また変えてくれと言おうものなら、「分裂症なの?」と罵られるに違いない。しかし、ipodがあれば違う。当時、ipodに黒い躯体のものはU2モデル以外になく、またホイールが赤いのはいまだU2モデルしかない。そのデザインにも強く惹かれ、第4世代のU2モデルを、05年の4月に購入した。(写真は動画も観れる第5世代) 。 20GBで5000曲程ストックできる。何故か実質、4000曲弱程しかインポートしか出来ないがそれでも充分だ。 通勤に限らず、出かけるときはほとんど肌身離さず持ち歩き、車ではFMトランスミッターにつなぎ、ほとんど子供の音楽など聞かせない。(われながら最低だと思うが・・・。)かみさんと子供達は既に帰省している。今夜は姫路に向けて、ロンリー・ロングドライブだ。またipodに大活躍してもらおう。

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2006年8月 9日 (水)

ザ・ファイナル/ワム

Photo_7 やはり、夏はシャツが皮膚にからみつくような狂ったような陽射しがいい。もちろん、そんな気候に似合うのは、昭和の3大“マイコー”(マイコー・ジャクソン、ジョージ・マイコー、マイコー冨岡)の内のひとり、われらが“ジョージ・マイコー”が率いたワムの音楽が最高だ。初期の能天気な曲、バブリシャスな“ラスト・クリスマス”、ひろみ郷も歌った“ケアレス・ウィスパー”。今となってはカミングアウトソングにしか聞こえない“アイム・ユア・マン”。そこには,ジョージ・マイコーの屈託のないポップ・センスが見事に昇華されている。そう、ワムのアルバムはこの一枚だけでいいのだ。実活動4年、優れた音楽は耐久性を持ち、去年はドラマでその音楽が再び脚光を浴びた。初期の能天気ソングは特筆もので、“ワム・ラップ”“クラブ・トロピカーナ”など実に歌詞もくだらない、邦題のつけかたも豪快で、“ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ”ってもうなんだか頭が溶けそうになる。そんなC級な歌詞でも、聞くに堪えないものになっていないのは、ジョージ・マイコーの天才的な曲作りのセンスにあるといっても過言ではなく、このアルバムには、彼のきらめくような才能が溢れ出ている。最近のマイコーのニュースは、大麻所持や自動車事故など暗いものが多いし、しかめっ面の写真も多い・・・。ジョージもういちど初期のようなアッパラパーでオッペケペーな曲を世に出してくれ~。

P.S  このアルバムの曲“哀愁のメキシコ”のライターがドン・ワズ&デイブ・ワズになっている・・・。ドン・ワズと言えばここ数年のストーンズにはかかせないプロデューサー、つくづくストーンズの凄さを痛感!

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2006年8月 6日 (日)

8月6日に思う事 焔/U2

Photo_6 U2、5枚目のこのアルバム“焔”(原題:THE UNFORGETTABLE FIRE)は、U2がシカゴの平和記念館で展示された広島と長崎の被爆者による絵画を見てインスパイアされたと聞く。自分の親父は広島の呉の生まれで、現在は大阪に住んでいる。祖母は若干、耳が遠くなったが元気で呉に暮らしている。61年前のこの日に広島で起こった出来事は忘れてはいけない。昭和20年8月6日、午前8時15分、アメリカのB29エノラ・ゲイから投下された原爆・リトルボーイが一分後に爆発した。半径2メートル以内の建築物は、すべて破壊され、山に反射した爆風が再び市の中心部にいた人々を襲って焼き殺した。広島の人口35万のうち7万人が即死。11月までに6万人、昭和25年までに7万人が死亡した。統計20万の犠牲者ではあるが放射能の影響は後世の世代にまで影響を及ぼしている。しかも、9日には長崎に原爆を投下している。自分も小学生の頃、「はだしのゲン」を学校の映画会で観て衝撃を受けた。しかし、教師はあの投下で少し終戦が早まったと言っていた。断じてそういう事ではなく、一般市民の住む都市に大量虐殺兵器を2個も投下したアメリカ・・・。広島の原爆慰霊碑には“安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから”と記されている。今、広島の血が流れている自分に出来る事といえば、過ちは繰返しませぬという本末転倒な自虐的言葉を除き、

安らかに眠って下さいと祈ることしかできない。

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2006年8月 5日 (土)

新たな時代を生き抜く意志 フラッシュポイント/ローリング・ストーンズ

Photo_5 原油価格の高騰により、レギュラーが140円代に・・・。わしがあの車を買った時は90円代やったのに・・・。やっと、ローンも払い終わったのに・・・。15年前の湾岸戦争以来らしい。その15年前に発売されたのが、このライブアルバム。ミックとキースの奇跡的和解を経て、発表された“スティ-ル・ホイールズ”ツアーの模様を収めている。ちなみにストーンズはこの時(90年2月)、悲願の初来日を果たした。この時、日本はバブル景気真っ只中、何せ10回の東京ドーム公演は全てソールドアウト、チケット、グッズ等の販売でもストーンズツアー最短での2000万ポンドの売り上げを叩き出した。自分も何とかチケットをゲットし、深夜バスに揺られて大阪-東京間を行き来した。このアルバムは、その興奮冷めやらぬ91年4月にリリースされた。それは、ミックの新たな時代を生き抜く意志が強烈に感じられるものとなった。明らかに差し替えられているミックのボーカルパート、そして湾岸戦争への嫌悪を歌った“ハイワイヤー”の収録。この曲はリフといい、リズムといいそのほとんどがミックの手によるものだと容易にわかるようになっている。記憶が正しければ、この当時あの戦争に対して、ここまで歌ったバンドはいなかった。ミックは、新しいストーンズのフォルムを提示するとともに、バンドで歌うことしか出来ない“プア・ボーイ”(ストリート・ファイティングマンの1節)が、アメリカに対して、裸の王様だと告発することに成功した。昨年のアルバム“ア・ビガー・バン”では更に直接的な“スウィート・ネオコン”なるナンバーを発表している。アメリカによるイラクへの武力攻撃・・・この時の大統領は、現ブッシュ大統領の親父。あの親子の行なった蛮行は、時がその正体を明らかにしていくだろう。TVゲームの画面のように、軍事施設を爆撃していく様は戦争が新たなステージで展開されると思われた。この時、“ハイワイヤー”で歌われた、“危険な綱渡り”をやめることなく現在、イラク情勢は混乱を極めておりハリバートンのような米の石油関連会社が巨額な利益を上げている。こんな時代だからこそ、自分のオピニオンをはっきり主張しなければいけない。その主張が大好きな漫画家、小林よしのりにも似て非常に共感できるものであった事が嬉しい。

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